アンダーグラウンドシティ・ベルリン在住。
世界各地から集まった変人たちに囲まれ穏やかでない毎日のなか執筆。小説のほか、性に対してオープンすぎるこの街で繰り広げられるセックスパーティやセックスワークショップなどへの潜入取材依頼も受付中。
X(SNS)→https://twitter.com/matsuemiru
『アデージョ秘密クラブ/レイカ』
『ぷるるんまにあ/ちゃちゃ』
『にゃんだふるわーるど☆/みおりん』
『ヘルス・セクシュアルパレス/翼』
『まいっちんぐハイスクール/らん』
「……また風俗行ってるのね」
夫の泰司に「クリーニングに出しておいて」と頼まれ、スーツのポケットに物が入っていないか調べていると、次から次へと出てくる風俗店のカードやら風俗嬢の名刺。
「……期間限定:カンパ~イ! パイパン娘のワカメ酒祭り! ……バカじゃないのっ!!」
佳子はそれをくしゃくしゃに丸めて投げ捨てる。
他にも大阪ミナミ店……仙台駅前店……名古屋錦店……など毎月数回ある地方出張でも毎度のように各地の風俗店へ行っているようだ。
「あんたがデリバリーされてんじゃないわよっ!」
頭に血が上った佳子はそれらを全部まとめてビリビリに破く。紙吹雪のように床へと舞い落ちる紙片。
「なによ……泰司のバカ……」
佳子自身も今はアンジェとして風俗で働いているわけだが、それとこれとは意味が違う。
「……そんなに溜まってるなら私とすればいいのに」
夫は性欲がないわけではないのだ。なのに、夫婦の間ではずっとセックスレスだ。
クローゼットの鏡に映る自分と目が合う。
(やっぱり……こんなおばさん相手じゃ……したくならないのかな)
はぁ、と深くため息をついて床に散らかした紙片を集めてゴミ箱へ捨てる。
佳子は結婚した時から、いや泰司に出会った時から、東大出で大手証券会社に勤めるエリートである彼と、大して有名でもない、しかも短大出である自分は釣り合ってないんじゃなかろうか、と心の深いところでコンプレックスを抱いてきた。
しかし泰司本人はそんな輝かしい経歴を自慢するでも盾にするでもなく、誰に対しても気さくで、スポーツやアウトドア好きのアクティブな青年だった。そして何より佳子を好いてくれていた。
『明るくていつも笑ってる君が好きだよ。仕事は大変だけど、君がいる家庭に帰れるならまた次の日からも頑張ろうって思える気がするんだ』
それがプロポーズの言葉だった。
同期の中で誰よりも早い寿退社、誰よりも大きいダイヤの付いた婚約指輪。
それから20数年……。
「はーーーーーーぁ」
ソファに身体を投げ出して、今度は大きく声に出してみる。
「なーんでかなぁ~……」
しかしそれ以上の愚痴は泰司には言えない。
私は短大を出て少し働いただけですぐ家庭に入ったから社会のことをあまり知らない。泰司は私の知らない厳しい世界ですごく頑張っている。仕事のことで愚痴ったり辞めたいなんて言ったことがない。お金の心配もなく、こうして暮らしていけるのは彼のお陰なんだ……。
そういう思いが佳子自身を閉じ込め、泰司に意見や不満を言えなくさせていたのだ。
佳子はぼんやりと外の景色を眺める。
新婚の時ってどんな風だったかな……
外での泰司ってどんな感じなんだろう……
どうして、こんな冷めた関係になっちゃったんだろう……
答えが出るはずもなく、考えれば考えるほど気持ちは沈んでいくばかりだ。
「ちゃっちゃらー! 今日もキーしゃん登場~! ばー!」
派手なピンク色の煙幕と共にキーがリビングルームに現われた。
「はぁ……」
しかし佳子のリアクションはため息のみ。それが不満だったのか佳子にまとわりついてまくしたてる。
「どうしたんでしゅか暗い顔して! 笑ったり喋ったり顔の表情筋を使わないと筋肉が老化して頬やあごのたるみにつながるんでしゅよ~?! フェイスラインのリフトアップ手術は筋肉を糸で内側から引っ張るっていうちょっと怖いやつでしゅけど、まあまだ今ならヒアルロン酸注入だけでも何とかなりそうでしゅかねー?」
佳子の下あごをまん丸な手でぽむぽむ触る。どうやら今日はいつにも増してテンションが高いらしい。
「……うるさいなー、あんたエステの回し者?」
さすがに今の気分でコレを相手にするのは面倒臭くてテキトーに答える佳子だが、
「あー! それあながち間違ってないかもでしゅよ! 風俗嬢は身体が資本のお仕事でしゅから定期的な健康診断とメンテナンスは必要でしゅ! アンジェに変身中はいいでしゅけど佳子しゃん本体はもうおば……おっと! 危ない危ない☆」
絡みたくて仕方ないらしい。
「あっそ…」
いつもは倍返しするキーの悪態にも今日は応戦する気にならない。
「あれれのれ~? 今日はお疲れでしゅか? ご機嫌ナナメでしゅか?」
「別に……」
「あ、分かったでしゅ。もしかして生理中でしゅか? あれ?いやでも佳子しゃんって……」
言い淀むキー。
「何よ?」
「もう生理上がって……」
「上がってなーーーーーーいっっ!!」
さすがにブチ切れた佳子はクッションを掴み思い切りキーに投げつける。
「ヒャー!」
悲鳴をあげながらもうまく避けるキー。
「まだまだあたしは現役だー! このセクハラトイプー!」
続いてテーブルに置いてあった美脚ローラーを掴む。
「今日こそはお仕置きしてやるー!!」
ステンレス製の取っ手の先が二股に分かれていてゴツいローラーが付いているやつだ。
「ひえ~~~! 硬いのはダメでしゅ~~~!」
「待てーーー!」
ローラーを握りしめドタバタと部屋中を駆け回ること数分。
玄関のチャイムが鳴り、息が切れたまま出ると階下の住人からの苦情であった。
「……ちょっと……キーのせいよ……怒られたじゃない……」
「……ボクは足音……立ててましぇん……」
ぜぇぜぇと息が上がりソファへとへたり込む。
「あっつ~……汗かいちゃったわ……ふー」
ぱたぱたと手で顔をあおぐ。
「だからそれが更年期障害の症状……ホットフラッシュでしゅよ……」
「しつこいっ!」
「あややや~」
「ん?」
キーのむちむちしたほっぺたをつねっていると、ふとさっきまでの暗い気分がさっぱり消えていることに気が付いた。
「あ……」
まさかこのおバカで口の悪いセクハラトイプーが私を慰めに来たというのだろうか?
(泰司のことで落ち込んでいるのを察して……?)
突然キーが愛すべき小動物に思えてくる。
「キー! あんたって実はイイ子なのね~?!」
がばりとキーを抱き締める佳子。
「わ~~~! 今度はなんでしゅか?!」
驚いて逃げようとするキー。
「照れんなって! こいつぅ~☆」
佳子の腕の中でもがきながらキーが叫ぶ。
「軽い躁鬱も更年期障害の症状のひとつってホントでしゅね~!!」
「アンジェさん、新規ご指名でーす」
今日も仕事が始まる。
「はーい!」
今回の指定はSシティホテルだ。新幹線の駅に近いので地方からの出張客が多いホテルで、以前も何度か来たことがある。コスプレのリクエストは無しで『うーん、強いて言うなら清楚系』ということだったので、今日のアンジェは女子アナ系の格好だ。
(503号室は……ここね)
部屋のチャイムを押して数秒待つ間、深呼吸する。
日々の生活の中で落ち込むこともあるが、接客する時は明るくて元気な自分でいたい。男の人はもちろん性欲を満たす為にこの店に来るのだけれど、今では「アンジェに会うと元気をもらえる」とか「その笑顔見てたらまた頑張れそうだよ」と言ってくれる人もいる。そういう人の気持ちに応える為にあたしは頑張るのだ。
「はい」
そう言ってドアを開けた男。
(!!!)
アンジェは一瞬息が止まる。
いや、心臓だって止まった気がする。
なぜならドアを開けたのは……夫の泰司だったからだ!
「アンジェちゃん?」
見間違うはずない。
顔も身体も髪型も声も喋り方も、全てが夫、泰司だった。
(うそうそうそうそ?! 何コレ? どーいうこと?! え? あたし今夢見てる?!)
思考回路がショート寸前のアンジェ。
「さ、入って」
ドアを閉める泰司に押し入れられるように中へと入る。
「……は、はい!」
元カレの水島に会ったことも佳子の人生でのビックリ体験ベスト5に入るが、これはぶっちぎりでナンバーワンである。まさか一つ屋根の下に暮らす夫が客として目の前に現われるなんて。
「どうぞ、座って。ビールか何か飲む?」
「あ、はい……じゃ、じゃあビール頂きます!」
アンジェはふらふらと窓際の椅子に腰掛けながらまだ半信半疑である。これが現実か、夢なのか。
「噂は本当だね。やっぱりネットや雑誌よりも口コミが一番信頼性が高いな」
泰司が備え付けのミニ冷蔵庫から缶ビールを二本取り出しながら言った。
「え?」
「メルティーマンゴーのアンジェって子がすごい、って噂を良く聞いてたんだ。男って集まるとさ、職場とか学生時代の連れとかフットサルチームの仲間とかさ、何歳になっても下ネタやフーゾク話好きだから、そこで皆が盛り上がってたんだよなあ。アンジェは新宿イチ、いや東京イチと言ってもいい! って。ははは。どうぞ」
ビールを注いだグラスをテーブルへ置く。
「あ、どうも……そんな、なんか……変な感じです。えへへ!」
泰司はアンジェの照れ隠しだと思っただろうが実際は違う。本気で変だと思っていた。
それもそのはずだ。
(泰司が……家では会話もない夫が今あたしの前でぺらぺら喋ってる……しかも仲間内でアンジェのことを話題にしてる……それ……自分の奥さんなのに!!)
「だから今日は満を持して指名させて頂きました! はい、乾杯!」
グラスを重ね合わせる。
「ありがとうございます! 乾杯☆」
チーン! と澄んだ音が部屋に響いた。
ゴクゴクと美味しそうにビールを流し込む泰司。
(そう言えば泰司、最近じゃうちで全然お酒飲んでなかったな……。前は一緒に晩酌したりしてたのに……)
これがフ~ゾク嬢アンジェとお客としてではなく、佳子と泰司としてだったら……
夫婦としてこうやって向かい合ってビールを飲んでいるのだったら……どれだけいいだろう。
切ない思いが胸を締め付ける。
アンジェはグラスを握りしめたままの自分の手を見る。
(ダメダメ! 今あたしはアンジェ! あたしと過ごす時間を楽しみに泰司は来てくれたお客さん!)
そう強く自分に言い聞かせ、意を決し「いただきまーす!」とビールを一気に飲み干した。
泰司が「いい飲みっぷりだなー」と笑いながら言う。
「はー! 美味しい!」
冷たい液体が喉を流れていき、アンジェの中で何かが吹っ切れた。
(もう……こんなのって…………楽しむしかない!)
不可抗力の出来事ならば、混乱し嘆き悲しむよりも、楽しんでしまうのが一番身を守れるし、事態が好転する可能性がある。
腹をくくったアンジェはこのあり得ない状況を逆手に取った。
(泰司のこと、夫ではなく、もう一度ただの国井泰司として見てみよう……!)
帰って来ない夫、セックスレスの夫、風俗通いの夫――、
コンプレックスから言いたいことも言えなかった。それに、そのコンプレックスというレンズを通して見る泰司はきっと歪曲していて、本当の彼の姿ではない。
(これがホントの裸の付き合い……!)
泰司が椅子から立ち上がってアンジェの手を取る。エスコートされアンジェも立ち上がる。見つめ合い、彼の茶色がかった瞳に映る自分を少し不思議に思いながら、
瞼を閉じ、ゆっくりと唇を重ね合わせる。そう、こういう感じ。泰司の唇は薄くてキスもちょっと不器用だ。でも懐かしい。
「ひゃ!」
泰司は軽くアンジェをお姫様抱っこするとベッドへと運んだ。
「いい?」
ベッドの上で向かい合って座る。
「もちろん……」
泰司がアンジェのカーデガンのボタンをひとつずつ外していく。アンジェも彼のワイシャツのボタンを外す。ブラシャーを外されお互い上半身裸体となると、泰司がアンジェを引き寄せ抱き締めた。彼の素肌や体温をダイレクトに感じる。
(泰司……)
髪や背中や首筋をゆっくりと撫でられてアンジェは気負いや緊張が解けてリラックスし始めた。それは何より慣れ親しんだ夫の身体に身を預けているからだった。
するとキスの合間に泰司が言った。
「何か不思議だな……」
「え?」
思わず泰司の目を覗き込む。
「何て言うか……君とは初めてな気がしない」
(!)
アンジェと佳子――姿は違えど泰司も感じているのだろうか。毎晩のように愛し合った時のこと……。
「…………あたしも!」
昔みたいに抱いて欲しい、激しく愛して欲しい……そんな思いでたまらなくなりアンジェは言った。
「一緒に……気持ち良くなろ!」
<第10話に続く>
------------
第10話は3月3日公開です
■注意■