2026/05/29 17:01

桜色の制服を脱いだ日
第一話
「23歳、貯金ゼロ。
私、何かを変えなきゃいけない」
さくら(仮名)が初めてうちの求人ページを見たのは、深夜2時のことだったらしい。
スマホの画面だけが光るワンルーム。カップ麺の容器がまだテーブルの上にある。来月の家賃は今月も、どうにかなりそうで、どうにもならない。
「普通の子でも大丈夫、って……ほんとかな」
彼女がうちに電話してきたのは、それから3日後のことだった。
* * *
正直に言う。私は最初、さくらのことを「続かないかもしれない」と思った。
声が小さい。受け答えが丁寧すぎるくらい丁寧で、「あの……本当に未経験でも、大丈夫ですか?」と三回聞いてきた。三回とも同じ質問だった。
「大丈夫だよ。みんな最初はそうだから」
「でも私、本当に何も知らなくて」
「それでいいんだよ。知ってる子より、知らない子のほうがむしろ伸びる」
これは本当のことだ。業界経験がある子って、変な癖がついていることが多い。さくらみたいに真っさらな子のほうが、こっちも教えやすいし、何より伸びしろがある。
* * *
さくらのスペックを書いておこう。
23歳。地方出身。都内でコールセンターのバイトを3年。身長163cm、ショートカット。ちょっと地味め、と自分では言っていた。でも話してみると、笑った瞬間に印象がガラッと変わる顔をしている。
月収は手取りで18万円ほど。家賃・光熱費・食費で毎月ほぼ消えて、貯金はゼロどころかマイナス気味。奨学金の返済もある。
「このままじゃ、30になったとき何も残ってないな」
そう気づいたのが、きっかけだったと後から話してくれた。
* * *
面接当日、さくらは5分前に来た。
紺色のシンプルなワンピース。化粧は薄め。バッグはちょっと古そうなキャンバストート。緊張しているのか、ちょっと背中が丸まっていた。
「あの、今日はよろしくお願いします……」
頭を下げる角度が深い。几帳面な子だ、と思った。
コーヒーを出して、しばらく話す。仕事の内容のこと、お金のこと、ルールのこと。さくらはひとつひとつ、メモ帳に書き留めていた。スマホじゃなくて、手書きのメモ帳で。
(この子、真面目だ)
面接が終わりかけたとき、さくらが少し声を落として言った。
「あの……一つだけ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「ここで働いている子って……みんな、最初は怖かったって言いますか」
私は少し考えてから、正直に答えた。
「みんな怖かったって言うよ。怖くなかった子、一人もいない」
さくらは黙って、メモ帳にそれを書き留めた。
「怖くなかった子、一人もいない」と。
* * *
さくらが帰ったあと、私はしばらく面接室に残っていた。
彼女がどう動くか、正直まだわからない。考えすぎて電話してこない子も多いし、他の店に流れることもある。それはそれでいい。ここが合う店かどうか、選ぶのは本人だから。
ただ——
あのメモ帳に「怖くなかった子、一人もいない」と書いた彼女の手が、少し震えていたのを、私は見ていた。
怖いのに、それでも来た。
それだけで、もう十分だと思った。
— 続く
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